【1】古都と湖都をめぐる(前編)
京都と滋賀へ行ってきた。
京都の街は、修学旅行やプライベートな旅行で何度か訪れているので大方の有名どころは抑えてあるけど、街の中心部から離れた比叡山延暦寺や、いつもサービスエリアで休憩したり列車の窓から眺めたりするだけだったお隣の大津の街はなかなか行く機会がなく、今回はその辺りを中心にめぐってみることにした。
6月のある木曜日の夜に東京から夜行バスに乗り込み、翌金曜日の朝5時半、京都駅の八条口へ着く。夏至なのですでに日が昇っていて、暗いバスの中から出てくるととても眩しいけれど、自然と起床スイッチが入る。
早朝の京都駅はまだ人が少ない。
JR京都駅のホームへ出ると、懐かしい車両が止まっていた。関東では見られなくなってからもう10年以上が経つ103系だった。
こうして元気な姿が見られると嬉しい。205系の列車を2本見送って(205系も関東ではあまり見られなくなったけれど)、このウグイス色の列車に乗ることにした。
列車で2駅で稲荷駅に着く。
すぐ目の前に伏見稲荷の入口がある。
京都で拝観できる寺社仏閣は、だいたい8時や8時半オープンだけど、伏見稲荷は24時間出入り自由。なのでとりあえず夜行バスで京都へ着いたらお稲荷さん、という流れが出来上がっているのか、そこそこ人が多い。
有名な千本鳥居の前では少しだけ人溜まりができていて、海外から来たと思しき人たちが、鳥居をくぐる人が見えなくなった瞬間を狙って一斉にシャッターを切っていた。
僕もその流れに乗ってたくさん写真を撮った。
こういうことができるのもこの時間ならではと思う。
中学生の修学旅行の時に平等院へは訪れた記憶がある。その時は集団でのバス移動だったので、駅から平等院までの道のりは初めて歩く。
拝観開始時間までまだ余裕があったけれど、朝食の摂れそうなカフェや飲食店は空いていなかったので、途中にあったパン屋さんで朝食を買い込んで、宇治川の中州の公園で食べた。宇治らしく抹茶の入ったパンが多くてとてもおいしい。
拝観開始時間になり、拝観料を払って境内に入り、鳳凰堂を眺めると、記憶の中にある鳳凰堂よりもだいぶ色が鮮やかになっていた。聞けば数年前に屋根の葺き替えや柱の塗り直しの修理が行われたそうで、より往時の姿に近づいたという。確かにこの姿を当時の人たちが見たら、現世の極楽浄土だと思ったかもしれない。
鳳凰堂を拝むだけでも十分価値はあるけど、平等院にまつわる国宝を含む品々やCG再現された堂内映像が見られる鳳翔館も素晴らしかった。
展示内容もさることながら、特に気に入ったのは鳳翔館の建物。内外装含めとてもモダンで、寺院の中にいるとは思えないような空間だった。
有名な紫陽花は見頃の終盤を迎えていたが、多くの人出で賑わっていた。
驚いたのは庭園の広さで、なんと5000坪もあるらしい。その中に様々な色の紫陽花が1万株植えてあり、目を楽しませてくれる。紫陽花の花自体の美しさはもちろんのこと、青々とした葉や周辺の緑とのコントラストが、より一層花を美しく見せてくれる。
紫陽花だけではなく、ツツジやシャクナゲ、秋になると紅葉も綺麗らしく、四季折々の変化を楽しむことができる。また違う季節にも訪れてみたいと思える場所だった。
宇治駅もこれまたモダンなコンクリート打ちっぱなしの駅舎で、曲線が多用されているところも美しい。駅構造もユニークで、駅舎に入ると一旦奈良線の線路をくぐって、ふたたび登って行ったところに改札とホームがある。
ここからは京阪グループの会社に大変お世話になる。
駅員さんのいる窓口で3900円の 「世界遺産 比叡山延暦寺巡拝チケット」を購入してホームへ行く。
少々値は張るが、京阪電車全線とケーブルやロープウェイなどこまごまとした交通機関に1日乗り放題なうえ、延暦寺の拝観料まで含まれているのでそこそこお得にまわることができる。
ホームには4両編成のまだ新しい車両が待っていた。
京阪間の鉄道会社を比べるときに「速さのJR・料金の阪急電車・サービスの京阪電車」という言葉をどこかで聞いたことがあるが、ことに競争の激しい京阪間で燦然と輝きを放つのが京阪電車である。
最近の関東の鉄道会社は右も左もステンレスむき出しの車両ばかりで、それはそれで別にいいのだが、鉄道ファンとしては何だか味気ない。それに対して京阪の車両は外装は綺麗に塗り分けられていて、車内も随所にこだわりが感じられ高級感が漂う。
日々の地獄のような通勤に疲れ、鉄道に対してネガティブなイメージばかりを持つ大方の関東人は、京阪の電車に乗ると、そのこだわりに対する感動と自身が毎日利用する鉄道会社との落差へのショックから本気で関西移住を模索し始める。
車内の広告には「京阪乗る人、おけいはん」と書いてある京阪の広告があったが、わざわざ自社の名前に丁寧の意味をあらわす接頭辞の「お」をつけた広告を車両に掲示しているのは(その言葉自体が人に対して使われるものであっても)、日本国内広しと言えども京阪だけではないだろうか。
普通列車と特急を乗り継いで終点の出町柳駅に着いたら、叡山電車へ乗り換える。
叡山電車には起点の出町柳駅から住宅街を北上し、宝ヶ池駅から鞍馬方面へ向かう鞍馬線と、東へ折れて八瀬に向かう本線の2系統がある。
鞍馬行きの列車には、1997年よりオレンジの塗装が美しい観光客向けの「きらら」という列車が走っているが、比叡山へのメインルートである八瀬方面へは長らく普通列車の運行が主であった。
そこでこの観光ルートの活性化の一環として今年登場したのが「ひえい」である。
この列車のプレスリリースを最初に見た時には、今まで見たことないようなユニークさに「とんでもねえやつが現れた」と鉄の界隈がざわついたが、さらにこの車両が新製車ではなく既存の車両からの改造だと聞いてまた驚いた。
車内に入ってまず目にするのは、縦に細長い楕円形の窓。その間に座席のヘッドレストを挟み込むレイアウトも生まれて初めて見たが、これはこれで面白い。内外装の色使いは、比叡の山の深い緑や神秘性を感じさせ、どこか不思議な気分になる。
出町柳から15分ほどで終点の八瀬比叡山口へ着く。周りを緑に囲まれた静かな駅で、開業以来からのレトロな木造駅舎が旅情を誘う。
ここからは叡山ケーブルと叡山ロープウェイでどんどん勾配を稼いでいく。
このルートの各交通機関は本数自体は多くないものの、基本的に接続時間をちゃんと考慮したダイヤ設定になっている。
八瀬比叡山口の駅で先ほど乗ってきた「ひえい」を撮影するのにすっかり夢中になっていた僕たちは、接続のケーブルカーを1分差で逃してしまい、次の便まで30分待つ羽目になってしまった。利用される方は注意が必要かもしれない。
ケーブルカーは1本の太いケーブルに車両が繋がれて、山上駅の巻上装置を動かすことで釣瓶式に勾配を登ったり降りたりする楽しい乗り物である。でももし突然山から巨人が現れて、くそでかい金切りばさみでケーブルを断ち切ってしまった瞬間、位置エネルギーの申し子となり、猛スピードで坂を駆け下り麓駅にぶつかってぺしゃんこになるのは想像に難くないので、やや緊張感を催す乗り物である。
だがそんな妄想をよそに麓駅を出発すると、ガタガタという揺れとともにゆっくりと進み、開けっ放しの窓からは心地よい風が入ってくる。たまに虫も一緒に入ってくるのも「自然がいっぱいだなぁ」と受け流せるほどの爽やかさである。
緑のトンネルを抜け、ケーブルカーとしては国内最大の高低差561mをわずか9分で登りきる。
ケーブルカーで坂道をガタゴト登ってきた後は、ロープウェイに乗り換えて空中散歩。
ケーブルカーから5分ほどの接続で乗車すると、眼下には京都洛北の街並みが広がり、美しさに思わず感嘆の声が漏れる。
ロープウェイを降りるとそこはもう比叡山の山頂。延暦寺へは歩いてバスにお乗り換え。
この辺でふつふつと思っていたのが、この京都から比叡山を登って滋賀へ降りるルート、交通機関はよく整備されていると思うが、各交通機関の間で結構歩かされる。特にこのロープウェイとバスの間は、歩く距離もさることながら、途中に「ここから急げば3分!」みたいな利用客を煽るような看板もある。
単に各々の交通機関が最短距離で行けるルートをとったら始発駅と終着駅がそこに決まったのか、それとも山の頂上まで交通機関を整備してやったんだからその間くらいは歩いて健康増進しろ、というメッセージなのだろうか。
夜行バスの中であまり眠れず、5時半から始動し始めて既に6時間以上経つと、疲労からかそんな下らないことを考える頭になってしまう。
ともかく歩いて歩いてバス停まで行き、比叡山を巡回するバスに乗った。バスに乗っている途中で、京都府から滋賀県に突入する。
もちろん比叡山内のバス料金も「世界遺産 比叡山延暦寺巡拝チケット」に含まれている。
延暦寺は、主に東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の3つの地域の100ほどのお堂や仏塔の総称で、山内を徒歩でまわるにはあまりにも広い。各地域の移動にはバスを使う。
最澄の開いたこの寺院は「日本仏教の母山」と言われており、法然や親鸞、栄西に道元に日蓮といった、我が国の歴史に名を刻む仏教オールスターズが若い頃にこの延暦寺で修行をしていたという、仏教界の大阪桐蔭高校みたいなところである。
延暦寺参拝の拠点は東塔周辺にあり、バスセンターやお土産物屋さんに蕎麦屋さんもある。
平等院と三室戸寺が想像以上に楽し過ぎたのとケーブルカーを一本逃した所為でタイムスケジュールが崩れ、時刻は既に2時を回っていたので、そこの蕎麦屋さんで昼食をとり、息つく間もなく東塔の入り口から境内に入った。
まずは延暦寺の本堂にあたる根本中堂(こんぽんちゅうどう)を目指す。現在建っている建物は徳川三代将軍家光によって再建されたもので、再建された理由はもちろん織田信長による比叡山の焼き討ちによる焼失である。
歴史あるこのお寺に、信長は何てことしてくれたんだ、と思わなくもない。
ただ歴史上、延暦寺は教義の違いにより生じた軋轢から内部抗争を繰り返して武装化し、時の政権の言うことも聞かずドンパチやり合って、何度もスクラップアンドビルドを繰り返してきた経緯があるので、確かにあの瞬間湯沸かし器の信長の逆鱗に触れたらそうなるわな、と思わざるを得ない気もする。
ちなみに現在根本中堂は2016年から10年に及ぶ大改修の真っ最中であり、ジャンボジェットの格納庫かと見間違うくらい大きなプレハブの建物で覆われているため、外からその姿を見ることは出来ない。ただ内部はしっかり拝観できるようになっているのでご安心を。
それにしても、この改修には一体幾ら掛かるんだろうか。実際に見てみると、建物の規模が物凄い。しかも現代の建物とは工法が異なるから余計にお金が掛かるのは容易に推察できる。
全国的に名の知れた寺院のお坊さんにひとり知り合いがいるけど、それほど規模は大きくないものの、度重なる改修で未だに5億円以上の借金があると言っていた。それだけ古い建物を維持するということは大変なようだ。
延暦寺でも随時篤志のある方を募集しているようなので、是非我こそはというブルジョワジーの方々は協力なさっていただければと思う。
根本中堂を見学したあとは、バスセンターに戻って西塔へ移動しようと思ったが、そこでまたやらかしてしまった。西塔・横川方面のバスは僕らの到着する数分前に出ていってしまったのだ。
現在午後3時過ぎ。お寺の夜は早く午後4時には閉まるため、どうしようかと考えていた。すると西塔までは30分ほど歩けば着くと守衛さんが教えてくれたので、西塔まで歩き、そこから戻りのバスに乗ることにした。
かなり急いで歩いたので、20分ほどで西塔の中心である釈迦堂へたどり着いた。
戻りのバスは逃すまいというプレッシャーのせいか、途中にあった延暦寺の開祖・最澄のお墓をすっ飛ばしてしまったのはやや心残りだったが、なんとか時間内に釈迦堂へお参りをして、バスの時間に間に合わせることができた。
比叡山から滋賀方面へ下山するには、坂本ケーブルを利用する。このケーブル一本でほぼ麓まで降りることができるのでかなり距離が長く、路線長2025mは国内最長を誇る。
乗車する時は、麓のケーブル坂本駅に向かって左側に座ると良い。車窓から渓谷と、左奥に琵琶湖を望むことができる。
僕らは発車ギリギリの時間に駆け込んだので右側の座席しか空いておらず、揺れる車内で立ち上がるのは憚られたので渓谷の景色は見そびれてしまった。
今日1日だけでもうだいぶ歩いた。
傷付いた足の筋繊維たちが悲鳴を上げている。iPhoneの歩数計を見たら既に3万歩を超えていた。
そんな酷使した身体を少しでも癒そうと、おごと温泉で日帰り入浴をすることにした。
しかしながら何故かおごと温泉は公共交通機関から隔絶された地にあり、最寄りのおごと温泉駅から1.7kmも歩かなければならない。ちなみに駅から直接行けるバスは無い。ふざけている。
ムカついたのでタクシー代をケチって歩いたけど、疲れを癒しに行くためにさらに疲れる、という本末転倒な状況に頭が混乱して気づいたら口から罵詈雑言が漏れ出てくるようになってしまったので、素直にタクシーを使えば良かったと後悔している。
ただ温泉自体はとても良かった。
湯元舘という温泉旅館へお邪魔したが、まず入浴できるエリアが3つに分かれており、内風呂はもちろんサウナと水風呂に加えて、最上階の露天風呂(男女入れ替え制)からは琵琶湖を一望できる何とも贅沢な施設でテンションと血圧が急上昇。泉質はアルカリ性の単純温泉で、入浴後は肌がとても滑らかになった。
温泉でさっぱりしたら、再び歩いておごと温泉駅へ戻り、JRと京阪石山坂本線を乗り継いでびわ湖浜大津駅で下車する。
駅から歩いて5分の「東横イン京都琵琶湖大津」という、滋賀県大津市にあるのにも関わらず名称に京都の治外法権が発動しているホテルにチェックインした。
温泉に入ってHPが7割方回復した僕らは、せっかく京阪全線使える切符を持っているので、祇園の街へ晩御飯を食べに行こうということになったのである。
祇園の街へ行くといっても別に芸者遊びをするわけではなく、目的はラーメン屋で、しかもその店は期待したほどの味ではなかったのでここでは言及しない。
それよりも夜の京都の街がとても良かった。
生暖かい夜風を浴びながら、鴨川のほとりで騒いでいる大学生の群れを三条大橋の上から眺め、コンビニで購入した酒を飲んで他愛もない話をして、鴨川の河川敷に降りたら等間隔に並んでいるカップルの間に陣取って、ひたすら川の流れを眺めた。
なぜこれほど京都の街に魅力を感じるのだろう。
歴史を色濃く感じられるからなのか。
建物の高さ制限が均衡の取れた街並みの美しさを保っているからなのか。
修学旅行の追体験ができるからなのか。
京言葉が魅力的だからなのか。
きっと人それぞれが思う色々な要素が重なりあって、他のどの場所とも違う "京都ならでは" みたいな概念が、人々を京都へいざなっている気がする。
その後しばらく花見小路を散歩して、途中で裏通りみたいなところに紛れ込んだけど、客引きのお兄さんたちに全然相手にされないのを「よっぽど金持ってなさそうに見られてるんだな」とゲラゲラ笑った。
とても良い夜だった。
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