【5】鉄道ファンが2万字と134枚の画像で綴る台湾旅行記
【まえがき】
日本人の海外旅行の行先としてポピュラーな台湾。日本から近くて時差も僅かに1時間、陽気で優しい人が多く、この季節でも日中はTシャツで過ごせるくらい暖かい。
そんな台湾へ、11月の下旬に気のおけない友人と男ふたりで3泊4日の旅程で出かけてきた。その様子を備忘録的な意味も含めてこれから記していきたい。僕は緩やかな鉄道ファンなので、そういう目線での記述が多くなることは最初にお断りしておく。
なお、僕は今回の台湾旅行にあたって、初っ端の空港へ向かう(日本の)電車内で財布を紛失し、パスポート以外の身分証やカード類や現金を全て失ったドン底の精神状態からスタートしている。そういった背景を加味して読んでいただけるとより文章に味わいが出るかもしれない。
何より当座の旅行資金を無利子で貸与してくれた同行の友人には頭が上がらない。スペシャルサンクスtoマイフレンド。
【本編】
《1日目》台北王道観光編
さぁ、気を取り直して! 3泊4日の台湾旅行が始まる。
今回は旅行会社のツアーパックで
〈往復の航空機代+朝食付きホテル3泊+空港送迎付き〉
という内容のもの。現地は基本自由行動である。
友人にとっては初めての、自分にとっては高校卒業時にひとりで1週間ほど放浪して以来の訪台になる。
なお以下に出てくる料金は全て現地通貨(NT$=ニュー台湾ドル)で、2018年11月現在、1NT$≒3.8円。概ね4倍すると日本円換算になる。
現地時間の午前11時頃、台北の中心部にほど近い松山(ソンシャン)空港に降り立った僕たちは、現地のおばあちゃんツアーガイドに連れられて3泊お世話になるホテル・一楽園大飯店へ向かった。
「台北のシブハラ」と形容される西門(シーメン)の近くにあり、利便性が良く、スタンダードなランクで客室は綺麗とは言い難いものの、最低限の居住性は確保されたホテルである。お湯もちゃんと出る。
ホテルに荷物を預けるともうお昼時になっていたので、近くの牛肉麺(ニョウロウメン)が食べられるお店に入って昼食をいただくことに。
牛肉麺は台湾の代表的な国民食のひとつで、柔らかく煮込んだ牛肉と薄味のスープが特徴の中華麺である。味付け自体は薄めだけど、スープを一口すすると独特のクセのある香辛料の味がする。刺激臭というわけではないものの、やや香りが強く、少し甘めで少し苦い。その要因は八角や五香粉と呼ばれる香辛料で、台湾では煮込み料理をはじめ、様々な料理に使われている。
この風味を受け入れられるか否かで台湾旅行に対する満足度はかなり変わってくると思う。正直自分はあまり得意な味ではなく、高校卒業時に来た時は1週間の滞在で体重が2kg減ってしまうくらい、この味には馴染めなかった。
一方の同行の友人は全く気にならないようで「旨い」を連呼しながら食べていた。かなり好き嫌いの別れる味のようである。エスニック系の料理が好きな人は比較的受け入れられやすいのではないだろうか。
僕も食べ進めるうちに、「そういえば台湾の食べ物ってこういう味付けだったよなあ」と何だか懐かしむような気持ちになる。すごく美味しい、とまでは思わないけど、月日が経って味覚が変化してきたのか、ある程度自分の舌の受容できる範囲が広がったみたいだ。ご馳走さま。
お腹を満たした後は、いよいよ台北の街巡りに出発する。
まずは台北の大動脈である台北捷運(ジェユン/MRT・都市電車)に乗って、龍山寺(ロンシャンスー)へ。西門駅へ向かい、券売機で切符を買うのだが、僕たちは悠遊卡(ヨウヨウカー/Easy card)と呼ばれる ICカードを購入した。100NT$掛かるが、捷運は2割引き、台鐵(台湾版JR)も近距離なら1割引きで乗車することができ、バスやコンビニでも利用できる。海外では煩わしくなる小銭のやり取りを減らせる便利なカードである。利用が終われば手数料を差し引いて残額とカード代を払い戻してもらえるようだが、有効期限が無いので次に台湾を訪れる時まで取っておくのも可能である。
西門駅から板南線に乗り、ひと駅で龍山寺駅に着く。料金は切符だと20NT$。悠遊卡利用なので16NT$。とても安い。
龍山寺は 1738年に創建された台北最古の寺院で、本尊は仏教の観音菩薩だが、道教や儒教など様々な神様も祀られている。建物は、薄橙色の屋根瓦に、柱には金色の装飾が施され、大棟の両端には鯱鉾ではなく大きく口を開いた龍が飾られていて、全体として豪華で賑やかな印象を受ける。
境内では老若男女問わず多くの人が真剣にお祈りをしていた。たくさんの神様が習合しているから御利益も多岐にわたるというので、僕も失った財布が戻ってくるように強く祈念しておいた。
龍山寺を後にして周囲の門前町を散策していると、一見すると台湾っぽくない、赤レンガが特徴的なバロック様式の建物が現れた。剥皮寮(ポーピーリャオ)と呼ばれていて、字面だけ見たら日本統治時代か国共内戦時代の拷問施設かと思ってしまったのだが、実際は、かつて大陸から運ばれてきた木材の皮を剥いで加工した場所であったことからその名称になったそうだ。当時に関する資料の展示もあるようだが、残念ながら定休日(月曜日)だった。
龍山寺駅に戻り、捷運に乗って次の目的地へ向かう。
台北の街を網目のように張り巡らせている捷運は、高頻度運転で運賃も安く渋滞知らずと、旅行者にとっても強い味方である。比較的近年に営業を開始したこともあって、車両も新しく駅の設備も基本的に綺麗で快適である。車両は一部の路線を除いて日本の在来線より少し幅広で、捷運の6両編成の列車の乗車定員は日本の在来線の12両分以上に相当するという。
車内の椅子が硬いプラスチック製なのはいけ好かないけど、基本的に短時間の乗車なので尻に爆弾を抱えているような人でなければ気にならない程度である。
ただ個人的には、列車が右側通行なのになかなか慣れず(台鐵や高鐵=台湾版新幹線 は日本と同じく左側通行)、滞在中に2度も乗る列車の方向を間違えてしまった。
また駅構内や車内では飴やガム、ペットボトルの飲料も含め飲食禁止なのも注意すべき点である。僕は友人に対して「こういう決まりがあるからね」と注意を促した立場にあるにも関わらず、つい無意識下で捷運の列車内でペットボトルに口をつけてしまい、友人から「オイ!」と言われて我に返り、慌ててバッグに仕舞った。
西門駅へ戻り、松山新店線に乗り換えて2駅で中正紀念堂駅に着く。次の目的地、中正紀念堂への最寄り駅である。
中正とは中華民国の初代総統である蔣介石の本名で、中正紀念堂は彼の顕彰施設として、没後5周年の1980年に完成した。
25万㎡の広大な敷地内には紀念堂の本堂のほかに国家戯劇院(オペラハウス)と国家音楽庁(コンサートホール)が設置されている。そのほか敷地面積の大半を占める広場や庭園は、観光客が写真を撮ったり、地元の若者がダンスの練習をしていたりと、多くの人の憩いの場となっている。
本堂の長い階段を登って後ろを振り返ると、キチンと手入れされた庭園とその奥に広がる広場、そして2つの芸術劇場の、整然とした美しい風景が望める。
入り口正面には巨大な蔣介石のブロンズ像があり、その像の上部には彼の政治の基本理念であった「倫理・民主・科学」の文字が刻まれている。日中毎正時にはブロンズ像の両脇にいる衛兵の交代式が行われ、ここを訪れる観光客の目玉になっている。
紀念堂の1階は資料館になっており、蔣介石の生涯や業績と当時の世界情勢、日本との関わりなどを知ることができる。生前に乗用していたキャデラック2台も展示されており、クルマ好きの友人は興味深そうに見入っていた。
こう描写していても分かる通り、要は当時の国民党政権が作ったプロパガンダ施設である。日本ではひとりの政治家に対してこれほど力の入った国家施設を作ることは無いので、自分の目には少し異様に映った。
国共内戦やその後の2つの中国問題など、複雑な生い立ちを持ち現在も揺れ続ける台湾において、国民をひとつに束ねるために蔣介石を神格化すべくこのような施設が作られたんだろうと考えると、国家観の違いも感じ取れてとても興味深い。
なお1987年の戒厳令の解除後は民主化が進み、それまでの国民党一党独裁時代の圧政による数々の人権侵害が明るみになってくると、蔣介石に対する個人崇拝を排除しようとする動きが左派の民進党を中心に広がりを見せた。民進党政権下で中正紀念堂は一時的に「台湾民主紀念館」という名称に変更されたこともあった。
そういえば、台北の街中には至るところに選挙ポスターや候補者が描かれた大きな看板があったけど、調べてみると台湾では統一地方選の選挙戦真っ最中だった。旅行の途中で有力候補者と思しき人とエンカウントすることもあって、せっかくなら握手させてもらおうかとも思ったけど、全く知らない人だったのでやめておいた。
日本へ帰ってから選挙結果を見ると、既知の通り蔡英文総統率いる政権与党の民進党が大敗を喫した。
今まではそれほど気に留めていなかった海外の選挙のニュースも、実際に訪れた場所だとより興味を持って受け止められるようになる。海外を旅行する、というのは世界を見る自分の目の解像度を格段に上げる効果もあるんだなと実感できた。
さて、そろそろ日も落ちてくる頃だが、僕は先ほどから天候が非常に気になっていた。事前の天気予報だと今日は雨だったのだが、来てみると重い雲が立ち込めているもののギリギリ雨は降らずにいる。友人は道中「雨が降らないのはオレが晴れ男であるお陰だ」と頻りに言ってきてうるさかったのだが、この後行く予定の超高層ビル台北101の展望台では、当たり前だが展望台のまわりに雲がかかってしまうと何も見えなくなってしまうので、もう少し友人には頑張ってもらわなければならない。
中正紀念堂駅から捷運の淡水信義線に乗り、台北101/世貿駅で下車して地上に出ると、台北のランドマーク、台北101の最上階部分が少し雲で隠れているのが見える。
どうしようかと思ったが、せっかくここまで来たので一か八か賭けて登ってみることにした。入場料は600NT$で、台湾の物価の相場感や、龍山寺や中正紀念堂が無料だったのと比べると割高に感じてしまう。東京でスカイツリーに登るのとあまり変わらないくらいだ。
展望台へは東芝製のエレベーターで、地上382mの高さまで僅か39秒で到達する。最高時速60.6kmは完成当時世界最速だった。
あっという間に展望台に着いて辺りを見回してみると、時折雲が邪魔してくるが辛うじて外の景色が見える。少し待っていると日が沈んで、雲の隙間から、あるいは雲を挟んでぼんやりと、台北市街の夜景を見ることができた。昼景でも夜景でもそうだけど、展望台からの景色というのは、まるで地図を見ているかのように街を俯瞰することができるのでとても楽しい。市域の広さはさすがアジア有数の世界都市である。
展望台の内部は吹き抜けになっていて、巨大なウィンドダンパー(制振装置)を見ることができる。直径5.5m・重さ660トンの巨大な球体が、ビルが風圧を受けた時に振り子のように動くことで揺れを40%吸収することができるという。このビルはどうやらウィンドダンパーを強く推したいようで、各国語でウィンドダンパーの解説(映像資料もあり)があったり、マスコットキャラクターもウィンドダンパーの球体をモデルに作られていたりする(正直あまりかわいくはないが)。
すっかり日も落ち、お腹も減ってきたので、いよいよお待ちかねの夜市へ向かう。台北101の地下には大きなフードコートもあるけど、せっかく台湾に来たからには夜市で食べるのが醍醐味である。
空港で出迎えてくれたガイドのおばあちゃんは「衛生管理が杜撰だから日本人が夜市で食べるのはやめといたほうがいい」みたいなことを言っていたけど、生ものをなるべく避けるようにすればそれほど神経質にならなくてもいい気はする。
ということで、 捷運の淡水信義線に乗って、台北市街の北部にある士林(シーリン)夜市へ。庶民の台所として賑わう台北最大の夜市だ。アクセスは士林駅よりも一つ手前の剣潭(ジェンタン)駅で下車する方が近い。
夜市は何と言っても雰囲気が良い。毎晩お祭りでもやっているんじゃないかというくらい活気があって、歩いているだけでも気分が高揚してくる。
台湾の人たちは基本的に商魂逞しくて、日本人相手でも片言の日本語でどんどん喋りかけてくる。「ニセモノ要リマセンカ」と堂々と偽ブランドを売るキャッチの人もいた。
夜市には、小吃(シャオチー)と呼ばれる一品料理の屋台のほか、ゲームコーナーやマッサージ屋・占い・お土産・服・雑貨など何でもある。歩いているとたまにドブ川のにおいがするが、大抵はその近くに臭豆腐の屋台がある。
がっつり晩御飯を食べたかった僕たちは、士林市場の地下にある、美食区と呼ばれる飲食店の集うエリアへ向かった。特にこのフロアのお店はどこもキャッチの引力が強いので、5m進むごとに「全部見てから決めるね」と言いながらフロア全体を見て回り、特に気になった店に入って腰を下ろした。
メニューを見せてもらい、小籠包とチャーハンに妙め物2種類、臭豆腐を注文する。臭豆腐に関しては前回高雄の夜市で食べた時にあまりいい思い出が無いので友人に任せたら、食べてみたいと言うので仕方無く注文した。
どの料理も味付けは日本人好みで(臭豆腐を除く)、少し脂っこく塩気が多めでビールがよく進む。
仕方なく注文したとは言いつつも、いざ目の前に臭豆腐があると怖いもの見たさなのかどうにも気になってしまう。
少しにおいを嗅いでみたら、あれ…そんなに臭くない…? これはもしかしていけるのでは…?
急に変な自信が湧いてきたので、意を決してひとつ口の中に放り込んでみたら、ちゃんとドブの味がした。一瞬であの高雄の夜がフラッシュバックした。味覚が記憶を呼び起こす経験は誰もが持っているだろうが、これほどまで鮮明に脳裏に浮かぶのは初めてだ。
あの夜はあまりの強烈さに半泣きになりながら食べていた。当時高校出たてだった純朴な青年に、臭豆腐の刺激は強過ぎた。口に入れたは良いが、臭くて噛めたものでもなかったし、戻すのも憚られるしで、結局臭豆腐2つを30分以上も掛けて何とか食べ切った。その時はひとり旅だったから、この苦しみを誰にも分かち合えない、リアクションで笑ってもらえる訳でもない、というのも存外辛かった。
その当時と比べたら僕も少しは成長したし、それに今回の臭豆腐はそこまで酷くはない。何よりひとりじゃない。大丈夫。気を強く持って。
しかし咀嚼しているうちに色々な記憶や感情が入り混じって脳がバグったのか、急に笑いが止まらなくなってしまい、目の前にいる友人と隣のテーブルの地元客から不審者を見るような目で凝視されてしまった。
一応臭豆腐の名誉の為に言っておくと、豆腐の上に掛かっているタレと付け合わせの野菜は美味しいし、豆腐自体の旨味も確かにある。でも結局全部ドブの風味が持っていってしまう。
一方の友人は臭豆腐を臭がりつつも、旨いと言いながら完食してしまった。大したヤツである。もしかして自分の舌がおかしいのかなと若干不安に陥ったのだけど、向かいに座っていた50代くらいの日本人客が、余った臭豆腐をお裾分けする体で隣の女子大生客に押し付けていたので(その女子大生もひと口食べてギブアップしていた)、どうやら友人の方が珍しいタイプのようである。
こうして強烈な、そして楽しい夜は更けていった。帰りがけに台北駅に寄って明日使う列車の切符を購入してから、ホテルへ戻った。
《2日目》気まぐれ日帰り台中編
2日目。8時前に起床。少し寝坊してしまい、急いで朝食を済ませる。9時前に台北駅を出る列車に乗らなければならないからだ。
今日は台湾中部の都市、台中へ向かう。
昨日は『台北四大外国人観光地』と言われるうちの3つ(龍山寺・中正紀念堂・台北101)を制覇するというミーハーを極めた行程だったが、今日は「高鐵に乗りたい」という友人の要望のもと、列車に乗るのに丁度良い距離だから、といういい加減な理由で台中へ行くことを決めた。それも行きの飛行機の中で旅程を組んだので、台中に何があるのかもよく分かっていないままである。
台中は、台北・高雄に次ぐ台湾第3の規模を持つ大都市だが、こと観光に関しては比較的マイナーな地域なのかガイドブックではかなり扱いが小さい。持参したガイドブックでは台北エリアに128ページも割かれていたが、台中エリアはたったの見開き3ページしかなかった。
それでも行ったことのない場所に行くというのはワクワクする。久しぶりに台鐵の列車に乗る高揚感も入り混じりつつ、台北駅の在来線ホームで列車を待っていた。
そこへやってきたのは、台北8時59分発の自強号(日本の特急に相当)で、E1000型という前後に機関車が付いたプッシュプル方式の列車である。台鐵では最も一般的な特急車両ではあるが、南アフリカのUCW社製の機関車に、韓国の現代ロテム製の客車を挟み込むという独特の編成を組んでいる。
ちなみに列車名の「自強」とは、中華民国政府が国際連合を離脱した際のスローガンである「莊敬自強 處變不驚(恭しく自らを強め、状況の変化に驚くことなかれ)」に由来していて、ここでも時の政権のプロパガンダを感じることができる。
客室には2+2の4列並びの座席が展開されている。一等車やグリーン車の無いモノクラスの編成である。車両自体は少し年季が入っていて、車内は日本の国鉄特急のような雰囲気だ。
台中駅には11時16分に着くので、2時間17分の道のり。料金は運賃・座席指定込みで375NT$。
西部幹線(縦貫線)の途上にある台北と台中の間にはほぼ1時間に1本程度自強号が運転されており、乗車した列車はかなりの乗車率だった。併走する高鐵が開業してからもう10年以上経つが、在来線の特急も元気なのはどこかの島国と違って大変喜ばしいことである。おい、聞いているかお前のことだぞJR。
正確に言えば台鐵は国有鉄道で高鐵はBOT方式(将来的に公営に移管予定)の民営なので、経営母体の違いから競合関係にあるのだが、料金が異なる(台北−高鐵台中の指定席料金は700NT$)ので上手く共存できているようである。
自強号は途中、中小都市の駅に細かく停まりつつ、ほぼ時刻通りに台中駅に到着した。
台中駅は2016年に周辺の駅と共に高架化されていて、駅舎もホームも線路も真新しい。現在もホームの増設工事中で、その所為なのかペデストリアンデッキからは建築溶剤のような鼻を突く異臭がする。
日本統治時代に造られた地上駅時代の旧駅舎も残されており、周りのモニュメントと共にインスタスポットと化している。
駅近くのショッピングモールにあるマクドナルドで少し早めのお昼を済ませて、いざ台中散策へ。
まずは駅から徒歩5分ほどのところにある、宮原眼科へ向かった。
病院が観光スポット?と思ったが、日本統治時代に日本人医師の宮原武熊が経営していた眼科の建物をリノベーションしていて、カフェレストランや洋菓子店、アイスクリームショップなどが入った複合施設になっている。
建物内に入ると、元病院だったとは思えない綺麗でお洒落な内装で、まるでヨーロッパの古い図書館のような佇まいである。2階はカフェレストランになっていて、そこでお茶だけしようかと思ったが、ひとり280NT$以上の注文が必要らしく、お茶以外の注文も必要になりそうなのでやめておいた。
台湾ではこのように、日本統治時代に造られた建造物が今も数多く残っていて、それらは今も現役で使われていたり、文化財として保存されていたり、宮原眼科のようにリノベーションして別の用途で再利用されたりしている。
日本統治時代をもちろん肯定はしないけれど、台湾の人たちがどういう理由であれ、その時代の建物を後世に残して大事に使おうとしてくれているのは、いち日本人として嬉しく思った。
もうひとつ、宮原眼科の近くに第四信用合作社という、これまた古い建物をリノベーションしたカフェがある。こちらは1966年に建てられた元銀行の建物で、宮原眼科と姉妹店舗になっている。飲み物のほかアイスクリームやワッフルなどのスイーツもあって、イートインスペースでゆっくり味わうことができる。
ここでタピオカミルクティーを注文してひと休み。日本でも大流行中だが、本場で飲むのはまた格別である。台湾のタピオカミルクティーに入っているタピオカは、日本で飲むものよりもモッチリしていて少し芯がある。
ひと息ついたら店を出て、タクシーを捕まえる。
異国の地でタクシーに乗るのは何かと勇気が要るが、ガイドブックにある行き先の写真を運転手さんに見せるとすぐに伝わった。メーターをちゃんと動かしているのも確認。
次の目的地は、市の中心部からクルマで20分のところにある彩虹眷村(レインボー・ビレッジ)というところで、近年台中で急速に注目が集まるようになったスポットである。
彩虹眷村までのタクシー料金は380NT$ほど。
途中運転手のおじさんがGoogleの翻訳アプリを駆使してこちらに「彩虹眷村のあとはどこへ行くの?」とか「今日はどこに泊まるの?」などプライベートな質問を投げかけてきた。翻訳アプリを使ってまで話したがる、というのは何かボッタクリとかの意図めいたものがあるのかと思って過剰に身構えながら質問に答えていたけど、そのうちおじさんがただ単純にお喋りしたいだけだと分かった。普通にいい人だった。疑ってごめんよ。
彩虹眷村は、香港出身で退役軍人の黄永阜さんが「退屈だったから」という理由で2008年頃から老朽化した自宅の壁をカラフルなペンキで塗り始め、それが新たなアートスポットとして認知されるようになった場所である。もともと付近のエリアは再開発地域に指定されていて黄さん宅も取り壊される予定だったが、いきさつを知った市民の嘆願によって取り壊しを免れ、それが更に話題を呼んで、今では年間200万人が訪れる台湾でも有数の観光名所となったのだ。
家の壁だけでなく、塀や地面や屋根に至るまでビビッドな色合いで目を引くが、動物や人間が柔らかいタッチで描かれていて、黄さんの優しい人柄が伝わってくる。ペイントされた場所によって描いた時期が異なるのか、作風が少しずつ変わってきているのも面白い。
プロポーズや結婚式をテーマに描かれているエリアもあって、そこで結婚写真を撮る台湾人カップルも多いのだという。
台湾で彩虹爺爺(レインボー爺ちゃん)として親しまれている黄さんは、当日は不在だったが、現在も彩虹眷村の自宅に住んでいるそうだ。
再びタクシーに乗って、台中の中心市街方面へ戻る。今度は女性の運転手で、行き先を告げると運転席に取り付けられたタブレットを操作して、Google Map に行き先を入れて発進した。こういうところは時代性を感じる。
それはそうと、さっきのおじさんもそうだったけど、台湾のタクシー運転手は基本的に運転が荒い。その中でもこのお姉さんは特に酷くて、こちらが特に急いで欲しいと言っているわけでもないのに下道で当然のように90km/hくらい出すし、走行中に後ろを向いて話し掛けてくるし、ウィンカー出さずに交差点を曲がったりもする。
更に、友人に言われて気づいたことなのだが、この運転手、シートベルトをしていない。
普通ならシートベルトを着用しないと警告音が鳴るはずだが、この運転手はシートベルトのバックル(ベルトの差し込み口)に、ベルトと繋がっていない別のタング(差し込む金属のヤツ)を差し込んで、シートベルトを実際は締めなくても警告音が鳴らないようにしていたのだ。
シートベルトをせずに事故を起こした時のダメージの大きさと、シートベルト着用による圧迫感を比べて、なぜシートベルトをしない方を選ぶのかは全く理解できないが、とにかく僕らの目的地までは無事に着くことを祈っていた。旅行前にケチって海外旅行保険に入っておかなかったことを半ば後悔していた。
何とか死なずに辿り着いたのは、台中市街の北部に位置する禅寺・寶覺寺(バオジュエスー)。
このお寺で特に有名なのは、高さ33mの金色の弥勒菩薩の大仏像。1964年に当時の住職が、平和な世の中を願って資金を集め、その後約15年の歳月をかけ造立した。
それにしても大きい。隣の建物と比較すると大きさが分かる。そして優しそうなお顔。西日が射して笑顔が輝いている。
弥勒菩薩像の内部は民俗文物館になっているようで、採光窓もあちこちにあるが、訪問時には内部へ立ち入ることは出来なかった。
木造の本殿は日本統治時代の寺廟建築の要素を残していて、その歴史ある本殿を保護するため、周囲を大型のコンクリート建造物で覆うという独特な構造になっている。
また境内には、戦前に台中周辺で亡くなった日本人1万4000人のお墓もあり、毎年慰霊祭も行われているそうだ。平和への願いを新たにすると共に、ここまで無事故で来られたことにも感謝して、寶覺寺を後にした。
ここからは徒歩で台中の街をそぞろ歩き。
寶覺寺の近くにあったスーパーで台湾バナナを購入し、それを食べながら、台中駅方面へ向かって歩く。
10分ほど行くと、儒教の開祖である孔子と、その先祖や弟子を祀った孔子廟がある。孔子廟はアジア各地に存在するが、ここ台中の孔子廟は台湾で最も大きなものとして知られる。宋代の建築様式で建てられていて、華やかな装飾が印象的である。孔子は教育者でもあったことから学問の神様としても有名で、学業成就を願って多くの人が参拝に来るそうだが、この日は平日の夕方とあってか人はまばらで、落ち着いた雰囲気の中見学できた。
孔子廟のすぐ隣には、莒光新城という高層アパートの団地があった。築30年ほどとみられ、土色の壁に、各家庭の窓は空き巣防止の格子が張られている。台湾にはこうした高層アパートは数多くあるが、いずれも移動の列車内やタクシーの中から見ていただけで、間近で見てみると殊更興味深いものである。
付近を見回していると、いくつかのアパート棟に囲まれた半閉鎖空間に中庭があるのが少しだけ見えた。何だかパンチラしているみたいな気持ちになったが、一体その中がどういう雰囲気なのかつい気になってしまって、失礼を承知で少しだけ覗かせてもらうことに。
四方を巨大な建物に取り囲まれた空間は太陽光を遮り、やや暗くて鬱蒼としているけれど、ちゃんと人の生活のにおいもしていて、妙に心を惹かれるものがある。中庭にある気休め程度の植木や花壇が周りの巨大なコンクリートの塊と対比を成していて、心の中の渡辺篤史が「ほぉ~」「いいですねぇ~」を連呼していた。
知らない街を歩いていると、ガイドブックには載っていない発見もある。
怪しまれる前に莒光新城を出て再び台中の街を歩く。だいぶ日も傾いてきて、授業を終えた学生や仕事終わりの人たちで街はにわかに活気づく。
市民の憩いの場として親しまれる台中公園を横切り、出発地点の台中駅に戻るころにはすっかり日も暮れて、辺りは暗くなっていた。
そろそろホテルのある台北へ戻らなければならない。帰りは高鐵の列車を予約したので、高鐵の台中駅まで移動する。高鐵の台中駅へは、台鐵の台中駅から縦貫線の区間車(普通列車)で4駅の新烏日駅で連絡している。
少し早めに到着して、ホームで先行列車を眺めていた。高鐵の車両は日本の新幹線の技術を基に作られていて、塗色や先頭形状の違いを除けば、そっくりそのまま新幹線700系である。先頭形状が変わったのは、ベースの700系の先頭形状に対して台湾側で不満の声があったからだそうだが、そのお陰か700系より幾分シュッとした顔つきになっている。
19時39分発の152列車に乗車し、一路台北へ。この列車は速達タイプで、台北までは途中板橋(バンチャオ)のみに停車する。最高時速300km、所要時間は50分で、行きの自強号の半分以下で到達する。やっぱり速いなあ。
台北駅に到着し、晩御飯を食べに行く。今晩は友人のリクエストで火鍋を食べることにした。
向かったのは、捷運の忠孝敦化駅から徒歩8分の満堂紅というお店で、700NT$(サービス料込み)で2時間の食べ放題とソフトドリンクの飲み放題、デザートにハーゲンダッツの食べ放題まで楽しめる。
ベースのスープを2種類から選べるので、ひとつは辛めのスープ、もうひとつはミルク味噌のスープを選んだ。僕は辛い食べ物や、刺激物全般が苦手なのだが、ものは試しと辛い方のスープに入れた具材を少しだけ食べてみることにした。口から火が出るほど辛くて、むせ返りそうになりながら飲み物を取りに行った。
一方の友人はというと、少し辛そうにはしているものの、「イケるイケる」とおいしそうに頬張っていた。昨日の臭豆腐といいこの火鍋といい、彼の舌は一体どうなっているのか、どうにも不思議である。
ともあれ2日目の行程を無事終了して、ホテルへ戻る。
ガイドブックでは見開き3ページの台中だったけど、実際に訪れてみると相当なボリュームのある都市だった。今回まわりきれなかった逢甲夜市を始め、日本でもお馴染みの春水堂の1号店や、国立の美術館や博物館など、まだまだ見所は多い(それも大概帰ってきてから「ここ行けば良かった!」と気づく)。
現在台中では捷運も建設中で、開業した頃にはまた街並みも変わってくるのだろうか。その頃になったらまた訪れてみたい。
《3日目》ローカル線で行く十分&九份編
3日目は、ローカル線の情緒がたっぷり味わえる十分(シーフェン)と、ノスタルジックな街並みで有名な山あいの街、九份(ジォウフェン)へ。
前日までの疲れからかまた朝寝坊をしてしまい、9時20分に起床。ホテルの朝食の時間が9時半までだったので食べ損ねてしまった。
この日も台北駅から列車に乗ってスタートする。
台北駅は言わずもがな台鐵最大のターミナル駅だが、地下に位置するホームは2面、ホームに面した線路も4線のみ。台湾西部を南北に縦断する縦貫線の途中駅であり、台北駅を始発・終着とする列車も確認した限りでは皆無で、ターミナルっぽさはあまり感じられない駅である。
そんな台北駅を10時35分に出発する区間車(普通列車)に乗車。車両は台鐵の最新鋭の通勤電車EMU800型(EMU=Electric Multiple Unit)で、流線形の前面形状はJR西日本の681系に似てスマートな印象である。
列車は台北駅を出ると、2駅先の南港駅までは地下区間を走り、南港駅と汐科駅の間で地上に出てからは台北郊外の住宅街を駆け抜けていく。朝のラッシュの時間帯を過ぎた車内はのんびりとした雰囲気で、僕らと同じように十分や九份へ向かう観光客も見受けられる。
車内の全てのドアには車掌用の開閉スイッチがあって、車掌さんがどの車両にいてもドアを開け閉めすることができる。
何駅か過ぎると市街地は途切れ途切れになって、基隆(キールン)河に沿って山あいをカーブしながら進んでいく。
台北から50分ほどで、瑞芳(ルイファン)駅に到着。ここで下車して、平渓線の列車に乗り換える。
平渓線は全長13kmの盲腸線で、もとは石炭運搬のために建設された鉄道である。目指す今日最初の目的地・十分は、この平渓線の途上にある小さな街である。
ウェブサイトによっては「平日は閑散としている」なんて表現もあったけど、瑞芳駅ではホーム上で多くの乗客が列車を待っていた(この日は水曜日)。
20分ほど待つと、平渓線の列車がやってきた。日中は基本的に1時間に1本の運行だが、この列車は多客対応のためか3両編成である。
車両はDR1000型(DRはDiesel Rail carの略)と呼ばれる気動車で、日本車輌で製造され台湾へ輸入された。そのためか車内もどことなく日本っぽさが漂うが、車内の中央部には中華料理屋の入口みたいな謎のΩ型の仕切りがある。
製造当初DR1000型は全車両がリクライニングシートを装備していたが、一部を除いてほとんどが写真のようにロングシートに改造されてしまった。リクライニングシート車両のある列車に当たったらかなりラッキーだ。
座席がほとんど埋まるくらいで列車は瑞芳駅を出発した。
ふた駅先の三貂嶺(サンディァオリン)駅までは、東部幹線の宜蘭(イーラン)線の線路を走る。ちなみに瑞芳と三貂嶺の間にある猴硐(ホウトン)駅周辺は、多くの猫が暮らし、猫好きの人々が集まる猫村として近年注目を浴びているスポットだ。十分・九份を含めこの辺りはかなり観光資源が豊富なエリアである。
三貂嶺駅からは平渓線の線路に入る。線形が悪いのか、幹線である宜蘭線を走っていた時よりもかなりスピードを落として、時速30km前後で左右に揺られながらゆっくりと走る。基隆河の渓谷を分け入るように進んでいき、車窓からは「台湾の保津峡」とも呼ばれる風光明媚な渓谷美が楽しめる。
下車駅の十分が近づくと、先ほどよりももっとスピードを落として、十分老街と呼ばれる商店街の軒先擦れ擦れを牛みたいな速度で通過する。外を見てみると、多くの観光客がスマートフォンやカメラをこちらへ向けている。平渓線のハイライト区間である。
列車はゆっくりと十分駅に滑り込んだ。
僕たちを含めほとんどの乗客はここで降りる。この駅で列車の行き違いを行うので、駅構内は2本の列車の降車客と乗車客が入り乱れてごった返している。
何とか駅の外に出ると、線路沿いの両脇には飲食店や土産物店が所狭しと立ち並んでいて、たいへんな賑わいようである。
この駅の付近では、列車が来ない時間帯は自由に線路内に立ち入ることができる。線路沿いの看板に繁体字の中国語で明らかに「線路立ち入り禁止」みたいなことが書いてあったが、安全管理の為の職員さんもいるので気にせず入って良い。ここでなら、線路に立ち入って撮った写真をブログにアップしても炎上して書類送検される恐れは無いので、安心して楽しめる。
またこの辺りは、願い事を書いたランタン(天燈)を飛ばす天燈上げの有名スポットで、多くの人が願い事を書いたランタンを飛ばしている。
「お金持ちになりたい」「健康第一で」「童貞を卒業したい」など、様々な願い事が様々な言語で書かれたランタンが空へ浮かんでいっては小さくなり、やがて消えていく。
果たして願いは叶うんだろうか…そもそもランタンって落ちた後ちゃんと土に還るのかな?などと呑気に考えていると、
「ピイィィィィイッッッ!!!!!」
安全管理の職員さんたちが鳴らす大きな笛の音が聞こえる。駅の方を見ると、瑞芳駅方面へ向かう上り列車がこちらへ向かってやってくる。
慌てて線路から退避して、通過する列車を至近で眺める。けたたましいディーゼルエンジンの音を響かせながら、ゆっくりと列車は通過していった。
これはいいな、と興奮気味に友人と頷き合った。
また40分後くらいに来る逆方向の列車は順光になるので、その列車をカメラに収めようと決めた。待ち時間でお昼を食べるため、近くの食堂に入った。
列車で頭がいっぱいだったため、何という名前の料理を頼んだのか忘れてしまったけど、台湾滞在中に食べた料理で1、2を争うくらいに美味しかった。クセが全く無く、味付けの濃さも丁度良くて、同じプレートをそのままもう一皿食べられるくらいだった。多分朝食抜いた所為もあるだろうけど。
しっかりお腹を満たして、再び老街へ出た。
列車をどこから撮るのがいいか、他の人と被らずに撮れるか素人なりに考え、「ここにしよう」と決めて、列車が来るのを待つ。さあいつでもかかって来い。
やがてまた合図の笛が鳴り、奥からゆっくりゆっくり列車が向かってきた。
…うーん、どうだろうか。
何枚か手前のお姉さんと被ったけど、カメラを向ける様子も写せたのはこれはこれでいい感じ。
でももう少し引いて老街とほかの観光客も入れた方が良かったかな…まあいいか。
ここからは少しハイキング。台湾のナイアガラと呼ばれる十分瀑布(滝)まで歩く。
老街を抜けて対面通行の道路を少し歩き、橋を2つ渡って渓谷沿いの遊歩道を進み、もうひとつ吊り橋を渡ると所要25分ほどで十分瀑布に到着する。
幅約40メートル、落差約20メートルを誇る十分瀑布は、規模では本家ナイアガラに及ばずながら、半円形の岩盤を伝いカーテン型に流れ落ちる豪快な水流が壮麗な景趣を生み出している。
以前は業者が管理する私有地で有料だったそうだが、地元自治体が土地を取得して周辺の遊歩道や観光施設を整備し、無料で開放されるようになった。新北市万歳。
この付近で鉄道ファンとして見逃せないのは、十分瀑布から少し戻ったところにある吊り橋「觀瀑吊橋」と平渓線の列車を一緒に収められる撮影ポイント。
平渓線は本数が少なく、後の行程を考慮するとあまり時間的余裕が無いのだけど、ここで撮らなきゃ男が廃りますね。ということで、下り列車を撮影したら即座に十分駅に戻って、行き違いの上り列車に乗って瑞芳駅に戻るという強攻策を打つことにした。列車が時間通りに来るなら、上り列車の出発時間までは僅かに13分。果たしていけるだろうか。
撮影ポイントでスタンバイしていると…
来た…!
はい、いい感じ!!さあ走れ!!!!
階段を駆け上がり、対面通行の道路に出るところまで来ると、その気合いとは裏腹に、既にカラダはゼエゼエ言っている。完全に日頃の運動不足が祟っている。これはちょっとキツいかもな…十分駅の近くは人混みで走れなさそうだし。
そこへ目を付けてやって来るのは、さすがは商い上手な台湾のタクシー運転手である。急ぐ僕たちの横にタクシーを付け「乗っていかないのかい?」と。
ええ乗りますとも。ちょっと悔しい気分だけど。
こちらの急いでいる様子を察してか、この運転手も御多分に洩れず猛スピードで駅前まで連れていってくれた。お陰で無事インタイムで十分駅のホームに辿り着き、目標の列車に乗車することができた。めでたしめでたし。
再び平渓線の列車に揺られて瑞芳駅まで戻る。
次の目的地九份へは、この瑞芳駅が最寄り駅である。九份の中心街へは、この駅からバスまたはタクシーでの移動となる。運賃は、バスなら九份老街まで15NT$、タクシーだと公定価格で205NT$なので、僕たちは迷わずバスを選択。バス停は駅前から200mほど離れた場所にある。
バスで山道を20 分ほど揺られ、九份老街バス停に到着した。
九份のメインストリートは2つ。傾斜面に開けた街を等高線に沿ってほぼ水平に行く基山街と、傾斜面を石段で登っていく豎崎路(スウチールゥ)がある。基山街は主に土産物店や軽食店がひしめき合っている方で、豎崎路は茶藝館が多くガイドブックに写真がよく載っている方である。
九份老街のバス停のすぐ近くに、基山街の入り口がある。ここから九分散策はスタート。
台湾でイの一番に名前が挙がる観光地とあって、到着時も観光客でごった返していた。到着したのが午後4時前で、夕暮れ時に向けてまだまだ人が増える時間帯である。
今でこそこれだけ観光客が訪れるようになった九份だが、数十年前は人も少なく、閑散とした街だったという。
19世紀末から 20 世紀前半にかけて、この近辺には金鉱山があった。ゴールドラッシュに湧いた九份には何万もの人が移り住み、商店や酒場や学校などが立ち並んで繁栄を謳歌した。その頃に整備された路地や石段などの街並みは今でも色濃く残っている。
しかし、70年代に入ると金鉱は閉山し、それに伴って急速に街は衰退。一旦は人々から忘れ去られてしまう。
この街に2度目の春が来るきっかけとなったのは、1989年、ニ・ニ八事件を取り上げた台湾の大ヒット映画『悲情城市』の舞台に九份が選ばれたことだった。映画を通して、時が止まってしまったかのようなノスタルジックな街並みに注目が集まり、多くの人々が九份を訪れるようになって観光地化が進んだ。
石畳の小さな街路に並び立つ年季の入った建物群と、夜闇に包まれた街を優しく照らす赤提灯の印象的な風景は、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の世界観のようだと日本でも話題となり(公式にはモデルになっていないとされる)、日本人客も多く訪れるようになった。
そんな歴史ある九分老街を一通り歩いて、少し人混みにも疲れてきたところで、豎崎路の中心にある阿妹茶酒館でお茶をいただくことにした。ガイドブックの表紙に載るような有名店だが、タイミング良く最上階のテラス席へ通してもらえた。
4種類のお茶請けとお茶のセットで300NT$。お茶請けは少し甘めだが、どれもお茶によく合う。何より情緒溢れる街並みの中で、山肌の少し涼しい風を感じながら、美味しい台湾烏龍茶とお茶請けで息をつけるというのは格別である。
ゴールドラッシュの栄華を誇った当時の九份の喧騒に思いを馳せて、まるでタイムスリップしたかのような気分に浸っていた。当時この地で働いていた人たちは何を考え、何を糧に生きていたのだろうか。
まわりを見渡しているとみんなたくさん写真を撮っていて、ああ今自分はこの街の美しい風景の一部に組み込まれているんだなと考えると、ここを訪れることができて本当に良かったと思えた。
5時を過ぎると、空もだんだんと暗くなってきたので、お店を後にして街へ降りる。ブルーアワーに差し掛かった街の赤提灯に火が灯って、より一層趣の溢れる風景が広がっている。
そしてそれに合わせるかのように、さっきより混雑度合いが2段階くらい上がっている。
ここまで混んでいると正直情緒を感じる余裕はあまり無いのだが、友人とはぐれないように、人混みに揉まれながらも各々で適宜写真を撮った。景色を目にも焼き付けながら、豎崎路の石段を下っていく。
下っていった先には九份バス停があり、そこからバスに乗って瑞芳駅へ戻った。
考えてみたら、数ある中で台湾のナンバーワン観光地がこんな山あいの小さな街ならば、そもそも混雑しないはずが無い。順位だけで言えば日本でいう京都みたいなものである。京都も特にハイシーズンは物凄く混雑するけど、それでも街は盆地にあるからそれなりに広くて、それに応じた宿泊のキャパシティもある。九份には大きなホテルの類は一切無く、あるのは民宿のみ。多くの観光客は日暮れ前に一斉にドンとやって来て、商店が閉まりだす7時半くらいになるとほとんどの客は台北へ戻っていく。麓の瑞芳へ向かう道路も基本的に一本だけである。
だから駅から九份までの行き帰りの道は相当な渋滞を覚悟していたのだが、行き帰りどちらとも渋滞に巻き込まれずにスルッとこられたので、それが僕には不思議に感じられた。
今回は時間の都合で訪問できなかったが、九份のもう少し奥に金瓜石という街があって、九份ほど騒がしくなく、尚且つ金鉱採掘が行われていた当時の様子を知ることができる博物館もある。次に訪れた時には、ぜひ九份の民宿に泊まって、併せて金瓜石も散策しようと心に誓った。
瑞芳駅から列車で台北市内に戻る。歩き続けた疲労からか列車内では爆睡。
友人に起こしてもらって、台北駅よりひとつ手前の松山駅で下車する。台湾最後の夜はやっぱり夜市へ、ということで松山駅のすぐそばにある饒河街(ラオホージエ)観光夜市へやってきた。
松山慈祐宮という寺廟の門前に発展した歴史ある夜市で、台北では士林夜市に次ぐ規模を持つ。約600mの通りには、道路の真ん中と両端に屋台が並んでいて、士林夜市同様たくさんの人出で賑わっている。
まずは夜市の定番屋台グルメ、胡椒餅を食べることに。西の端のゲートの近くにある屋台で、人気店なのか長い行列ができている。胡椒餅は、豚肉とネギを混ぜて捏ねた餡を、小麦粉の生地で包んで専用の窯で焼き上げる小咆である。並びながらお店の人が作っている工程をじっくり眺めることができた。作業は手早くてソツがなく、店員さんというよりはむしろ職人さんのようだ。
食べてみると、「餅」という名前とは裏腹に、外の生地はパイに近いようなサクサク感があり、中の餡は柔らかく噛むと肉汁が溢れ出てくる。ネギの食感と胡椒のピリッとした辛さが良いアクセントになっている。もちろん焼きたてなので熱々である。旨くない筈がない。
胡椒餅を食べた後は、友人が食べたがっていた鶏肉飯の屋台があるか探してウロウロしていたが、見つけることはできず。代わりに炭水化物をイートインで補給できるお店に入って、僕はパクチーの入った焼きビーフンを、友人は魯肉飯(ルーローファン)をいただいた。
鶏肉飯はまた明日リベンジ。お腹を満たしたので、夜市を後にして西門のホテルへ戻った。
これは地図を見て気づいた話で、饒河街観光夜市のすぐ裏手を大きな川が流れているのだけれど、それは今日散々お世話になった基隆河だった。基隆河を列車でずっと遡って十分まで行って、また基隆河に沿って台北まで戻ってきた。十分瀑布で見た水の流れが、この夜市のすぐ裏まで繋がっている。
さらに、かつては砂金採集の場として有名な川でもあり、それが契機となって上流の九分の金鉱の発見にも至ったそうである。
そんな悠久の大自然と歴史のロマンに溢れる基隆河尽くしの1日だった。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。「常に同じものはこの世にない」と説いた鴨長明のように、明日の最終日も一瞬一瞬を余すところなく楽しみたい。
《4日目》故宮とプチ登山編
さあいよいよ台湾旅行も最終日。今日は「台北外国人観光地四天王」の最後の砦、故宮博物院を攻略して、ついでに台北市街を見下ろせる象山(シャンシャン)登山へ行く。
ツアー会社の空港への送迎の集合時刻がホテルに3時過ぎなので、最終日とはいえそこそこ余裕がある。
起床して朝食を食べたら、荷物をまとめてチェックアウトし、大きな荷物はホテルのフロントに預けていざ出発。
今日の目玉、國立故宮博物院へは、台北捷運の淡水信義線・士林駅からバスでのアクセスになる。駅の北側の出口を出て、捷運の線路と交差する中正路にある停留所から、故宮へ向かうバスが出ている(行先表示に「故宮」と書いてある)。15分ほどの乗車で故宮博物院に到着する。
世界四大美術館のひとつに数えられる故宮博物院は、収蔵品数60万点を誇る台湾最大の博物館である。国共内戦で形成が不利になった蒋介石率いる国民党が台湾に拠点を移す際に、中国大陸各地に分散して保管していた文物のうち第一級品ばかりをゴッソリ台湾へ移動させた。そのため中国歴代王朝に関連した文物を中心に数々の貴重な名品・珍品を鑑賞できる。現在の建物は1965年に建設されたものである。
入館料は350NT$。併せて150NT$で日本語の音声ガイドを借りると、より展示品に対する理解を深めることができる。手持ちの荷物はロッカーに預ける決まりになっているのだが、僕はその際一緒にカメラを預けてしまい(フラッシュを焚かなければ館内撮影OK)、館内や収蔵品は撮り損ねてしまった。無念。
収蔵品の中でも有名な、豚の角煮のような姿の天然石『肉形石』や、現代では製作不可能といわれる象牙細工『雕象牙透花雲龍紋套球』などの秘宝を間近で観察できたが、最も有名で故宮のシンボルとも言うべき『翠玉白菜(清の光緒帝妃の嫁入り道具の翡翠の彫り物)』は、台中フローラ世界博覧会(台湾花博)に2019年春まで貸し出し中とのことで、残念ながら見ることができなかった。四天王攻略の最後の最後に、ポケモンでいうところのワタルのカイリューにやられてしまったような気分で、特に初来台の友人はひどく残念がっていた。
やや不完全燃焼気味に故宮を後にして、お昼御飯を食べに行く。昨日お店を見つけられなかった鶏肉飯のリベンジを果たすために、捷運を乗り継いで松江南京駅から徒歩6分のところにある「梁記嘉義鶏肉飯」というお店へとやってきた。
1975年創業から人気のお店とあって、昼時の店内はかなり混雑している。オーダーはセルフサービスになっていて、予め食べたいメニューを選んでから席に座ると、本当に息つく間もなく料理が運ばれてきた。僕にも飲食バイトの経験があるけど、厨房の回転が恐ろしく速い。
看板メニューの鶏肉飯は、茹で鳥に鶏油と出汁のタレが染み込んださっぱりとした味わいの一品で、何度でも食べたくなるほどの美味しさである。おかわりできるか聞いてみようと思ったが、繁忙時で店員の殺伐とした雰囲気に尻込みして聞くのを諦めてしまった。このことはブログを書いている今でもちょっと後悔している。併せて頼んだスープと、卵とエビの炒め物も文句無しに美味。台湾料理特有の八角や五香粉系の香辛料が得意ではない方にも自信をもっておすすめできるお店である。
美味しい鶏肉飯に満足した後は、腹ごなしにプチトレッキングへ。捷運の淡水信義線の終点、象山駅から、登山道の入り口までは徒歩10分。そこから展望台までは20〜30分くらいで登ることができるが、登山道はほぼずっと階段なのでペースを間違えると膝にダメージを食らう。
初日に台北101から見た台北市街も良かったけど、当然ながら台北101から台北101自身を含めた眺望は望めないので、「これぞ台北」の景色を目に焼き付けたいならオススメのスポットである。
ただせっかくなら晴れて欲しかったなぁ。
無事自由行動の全行程を終えて、空港へ送迎してもらうためにホテルに戻る。集合時刻は午後3時5分なのだが、帰りの航空便の出航時刻は午後6時25分で、まだ時間にかなり余裕がある。松山空港はホテル最寄りの西門駅から捷運で20分もあれば着いてしまうので別に送迎の必要性を感じないのだが、送迎の途中で免税品専門の土産物店への立ち寄りを強制されるため不本意ながらこの時間の集合となった。恐らくツアー会社が客を連れて行く代わりに免税店からバックマージンを貰っているのだろう。
免税店に行く車内では、行きの時とは別の現地ガイドのおばちゃんが、中国語訛りの日本語で延々とおすすめ免税品のマシンガンセールストークをしていた。初めは話半分に車窓に映る台北市街を眺めていたけど、存外におばちゃんの話の独特な言い回しが面白くて、次第に聞き入るようになってしまった。
免税店に着いて車を降りると、免税カードを渡され、地下にある免税店のフロアへ通される。こういうのは初めての経験だったので、怖いお兄さんがいないか若干身構えていたけど、そんなことは無く、店内は明るく広々としていた。
品揃えは食品と宝石類・化粧品が中心で、1000万円以上する成金趣味っぽいサンゴの置物とか、効果の薄そうな健康食品なども置いてあった。友人と一緒に食品コーナーをぐるぐるしていたけど、夜市などで見かけた時の価格よりも割高で、あまり購買意欲をそそられない。それでもガイドのおばちゃんの購買圧力に押し負け、とりあえず日本に帰っておつまみに出来そうな台湾産メンマを一袋購入した。
30分ほどのお買い物タイムを経て再びクルマへ乗り、松山空港へ。台湾のフラッグシップ、チャイナエアライン(中華航空)CI222便・東京羽田行きで帰国の途に就いた。
3泊4日の台湾旅行、波乱の幕開けで一時はどうなることかと思ったが、台湾の美しい景色が、エネルギーに溢れた人々が、それに美味しい食べ物が、ネガティブな気持ちを洗いざらいどこかへ消し去ってくれた。
訪れた場所はどこも印象的だったけど、特に3日目に訪れた九份で見た景色は心に深く刻み込まれている。初めて訪れた場所だし、日本とは違うけど、どこか懐かしい感じもした。
台湾の人々はとても闊達で、時にはそのエネルギーに圧倒されそうになりながらも、根はとても優しくて親切で、楽しそうに生きてる人が多いように感じられた。台湾にも色々な人がいるだろうから一元的にこうだと決めつける訳ではないが、台湾で暮らす人たちを見ていたり、働く人たちに接したりしていると、自分自身の生き方を考える上で少なからず刺激を与えてくれているような気がした。
台湾の料理はクセの強いものも多かったけど、この旅行中、日を跨いでいくうちにそれも自然と受け入れられるようになっていった。このブログを書いている今ではもはや臭豆腐のにおいや味すらも懐かしくなっている。
帰りの航空機の中では既に、次に台湾に来たときの具体的な行程について考え始めている自分がいた。基隆に台南・阿里山や、台鐵で台湾一周して台東に寄ったりとかも。まだまだ行ってみたいところはたくさんある。前回訪れた高雄とか、花蓮にもう一度行くのもいいなぁ。
ありがとう台湾、また会える日まで。