【3】201系を追い求めて
201系を追い求めて、関西へ向かった。
前に友人と京都・滋賀へ出かけてから(ブログ前記事参照)10日もしないうちにまた関西の地を踏む。関西大好き。
本当は、その旅行の間にせっかくだから201系にお目にかかろうと思っていたのだけれど、201系が走っていると勝手に思い込んでいたJR奈良線には、実際には1本も走っていないというとても残念な勘違いをしていた。そこからわざわざ大阪まで行くのも同行の友人には忍びないのでその時は諦めてしまったが、東京へ帰ってからふつふつと”201系に会いたい欲”が出てきてしまった。
そもそも関西の201系にお目にかかること、というのは自分の頭の中にある「できるだけ早めにやっておきたいことリスト」の1番目か2番目あたりに常にあって、たまたまタイミングが合ったのが数日前、という感じである。
特に大阪環状線を走るオレンジバーミリオンの201系は、2018年度中に全ての車両が後継の323系に置き換わるという噂があり、既に編成数もかなり少なくなっているという話を聞いて、居ても立ってもいられなくなった。
大阪駅に意気揚々と降り立ち、端にある環状線のホームへ目をやると、丁度外回りの201系が入ってくるところだった。
急いでホームを移動して、写真を撮る間も無く乗り込んだ。
ドアが閉まるエアーの音がする。
そして独特の、しばしば蚊の鳴く音と形容されるチョッパ音を響かせながら、ゆっくりと動き始める。
…
僕は東京の中央線の沿線の街で育ってきた。
生まれるずっと前から中央線を走っている201系は、自分にとってまさに鉄道のイメージそのものだった。
まだ電車に乗ることが特別なイベントだった幼い頃、201系の座席に座れたら、靴を脱いで膝立ちになって外の景色を眺めた。
座れない時はドアの窓まで背伸びをした。
先頭車両に乗った時は、前面が覗ける小さな窓に背が届かなくて、父親に抱っこしてもらった。
その父親のカメラを借りて最初に撮ったのも中央線の201系だった。
マイカーを持たなかった我が家が、どこかへ旅行へ出かける時に必ず最初に乗るのも201系。
最初に漢字が読めるようになったのも、方向幕に書かれた行き先の「高尾」とか「東京」だった。
201系にはたくさんの思い出が詰まっている。
僕は中央線の201系が、デザイン的に優れているからとか、当時まだ真新しかった技術を用いて設計されたから好きというよりも、自分を形作る思い出やアイデンティティの一角に201系が組み込まれているから好き、と言った方が正確かもしれない。
201系が中央線から引退する頃は、自分が今こんなに201系がいないことを惜しんでいるとは考えていなかった。今目の前を走っている列車もいつかは無くなってしまうということは理解していたはずだけど、当時は学校も部活も忙しく、ちょうど鉄道に対する情熱が失われかけていた時でもあったため、乗り納めをしようとかたくさん写真を撮っておこうなどということはあまり考えていなかった。
何事も、いなくなってからありがたさというか、それらがあった日々が貴重であることに気づかされる。それを最初に実感したのが201系が中央線から消えた時かもしれない。
…
今乗っている環状線の201系は、2003年頃から体質改善工事が行われている。車内はきれいになって、戸袋窓は埋められ、車体側面も雨樋と外板が一体化されてすっきりした。
記憶の中の201系とは幾分異なるけど、車両の寿命を伸ばすためでもあるので仕方がない。むしろ古い車両を長く使ってくれて感謝の気持ちが強い。
そんな昔の思い出に浸っているうちに、この列車の終点の京橋に着く。この201系はそのまま車庫に入るようだ。
ここからは自力で201系を探さなければならない。
普段それほど熱心に列車を撮っていない僕は、運用情報に精通しているわけでもJRに勤める友達がいるわけでもないので、運と、ネットにある真偽の分からない情報と、ホームの電光掲示板にある4扉車を示す〇印が頼りである。
なかなかお目当ては来ないけど、それが宝探しをしているみたいでちょっぴり楽しい。
201系を見つけては乗り、降りたら駅で撮り、沿線で撮れる場所も回りながら、何度もシャッターを切る。
オレンジ色の201系はもう先が長くないようだけど、色にさえこだわらなければ、大和路線では221系と共にウグイス色の201系が主力として活躍している。おおさか東線ではほとんどの列車が同じくウグイス色の201系で運行されている。
本数が多いので、オレンジ色の201系よりもたくさん写真を撮った。
こちらはまだ置き換えの予定も無く、しばらくは201系の活躍を見ることができそうだ。
201系に会いに来たと言いながら、大阪には他にも誘惑が山ほどあるので、美味しいものを食べたり、温泉に入ったり、夜の街を歩いてみたりととても楽しい時間を過ごした。
大阪は大都市だけど、人と人との距離感が近い感じがして、その雰囲気を久々に肌で感じられたのも良かった。
たまたま乗っていた朝の満員電車で人が倒れてしまった時に(その人は結局無事だった様子)、そのまわりの人たちはお互いすぐに声を掛け合いながら、車掌さんに連絡して、倒れた人の介抱も躊躇なく行って、風通しを良くしようと窓も開けて、その一連の流れがスムーズでとても感心させられた。
少し遠巻きで見ていた自分は、もし同じようなことが目の前で起きた時、果たしてこの人たちのような対応ができるかと自問していた。 もっとまわりに優しくなれるようにしなきゃ。
もしかしたら自分の目でオレンジ色の201系を見られるのはこれが最後かもしれない。
残念ながら全行程を通してあまり天気には恵まれず曇りや雨の時間が長かったけど、ちゃんと201系の記録と乗り納めはできたので、今度はそれほど悔いは残らずに済むだろうと思う。
ただ、
やっぱり記憶の中にある中央線の201系が一番かっこいいかな。
追記:
旅程の途中から、西日本を中心に豪雨が続きましたが、幸い無事に帰路につくことができました。
この豪雨災害で犠牲になられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。
被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
時間が経つにつれ、被害の甚大さが明らかになり、以前訪れた地やゆかりのある地域も被災していると報道などで知り、本当に心が痛みます。
微力ですが、僕自身にできることを見つけたいと思います。